精進料理の伝統について
三光院の精進料理は、
通玄寺以来680年超の
伝統を誇ります。
通玄寺はもう存在しませんが、足利義満が男系天皇の血を引き継ぐ祖母、智泉聖通のために開山した尼禅寺になります。
通玄寺は焼失と再建の繰り返しの中で、その伝統文化は曇華院に引き継がれました。
明治時代に「御所号」を禁じられるまでは比丘尼御所と称された寺院であり、歴史の大半は石高で運営されてきました。
要するに日本の貴族階級からの支援で運営されてきた、一般に対しては閉じられたお寺になります。比丘尼御所とは、代々、皇女を含めて、公家以上の家柄から尼宮様をお迎えしてきた寺院になります。竹之御所流精進料理は、そうした元皇女の尼宮様に召し上がっていただくために、無名の女官さんや無名の尼さんが作り紡いできた料理になります。
多くの寺院で提供される修行僧の食事由来のものとは異なり、宮中や貴族文化からの影響も受けて、一種の雅さ、贅沢さも特徴としてあります。
同時にあくまで尼寺ですから、禅の侘び寂びも融合されて発展してきました。
宮中の雅さと、禅寺の侘び寂び、この二つの要素を称して「雅び寂び」と申します。
三光院は曇華院の飛鳥井慈孝御前の御別院として開山され、精進料理を提供することになった尼寺になります。
一般に向けて初めて竹之御所流竹之御所流精進料理の献立を初めて活字にし、世界に向けて書籍、メディアで公開したのも三光院になります。
三光院は精進料理のお浄財だけで運営されていますので、精進料理は寺院の根幹になります。
が、観光寺ではありませんし、葬儀仏教でもありませんから、お食事を目的に来院される方々によって支えられています。要は何かのついでに召し上がる方は一人もいらっしゃらない。
従って伝統ある行事食だけを提供しているわけではございません。
求められる精進料理であり続ける必要があるため、根幹をぶらすことはありませんが、米田祖栄和尚様、星野香栄御住職、西井香春先生と、三光院の料理を守り続けてきた方々が、新しい解釈も付け加えながら、今日の姿に発展してきました。
どのような特徴や伝統があるのかは、どうぞ実際に体験してみてください。前情報は不要と自負しております。
三光院との最初の御縁は、この三光院精進料理を通してであることが、最もお薦めです。

