三光院の歴史

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三光院の歴史

 昭和9年、東京・文京区の素封家・西野奈良栄刀自が、私財を投じ、鎌倉末期の後醍醐天皇の信奉厚かった国策三光国師を開山特賜として創建。臨済宗泰玄山、釈迦牟尼仏を本尊とする。

 「ぜひ尼寺に…」という開基・西野の強い思いに、浜名湖湖北五山の名刹・臨済宗方広寺本山の管長・間宮英栄老師が尽力、昭和12年に京都・嵯峨野の「曇華院(どんけいん)」から、米田祖栄禅尼が初代の住職として招かれた。

 曇華院は、「竹之御所」とも呼ばれる臨済宗の尼門跡寺院で、その起源は、智泉尼(順徳天皇のひ孫)が創建した尼寺五山のひとつである通玄寺。以来、代々にわたって天皇家の皇女や公家の息女たちに受け継がれてきた。京都にある7つの尼門跡寺院のうち3番目の寺格に列せられている。同院で典座も務めた祖栄禅尼によって、室町時代から600余年にわたる御所料理の流れを受け継ぐ「竹之御所流精進料理」が三光院にもたらされた。

 祖栄禅尼に師事した二代目住職の星野香栄禅尼に引き継がれた「竹之御所流精進料理」は、さらに後継者の西井香春に受け継がれ、「寺子屋三光院」と呼ばれる各種教室(仏教書画、写仏、音楽療法、フランス語、太巻き、植物散歩など)とともに、人気を集めている。

 ちなみに、開基の西野は、楽器や楽譜など西洋音楽普及のパイオニアとして知られる大阪・船場の三木楽器、中興の祖・4代目三木佐助(1852~1926)のいとはん。父親の佐助は明治21年にヤマハオルガン、翌年鈴木バイオリンを販売、音楽振興のために教科書の編纂、出版にも寄与。自社ブランドのピアノも販売。明治33年に「鉄道唱歌」の全国ヒットをばし、後年にドイツのスタインウエイを独占輸入する。