祖栄禅尼と香栄禅尼の経歴

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初代住職  米田祖栄禅尼(よねだそえいぜんに)
明治40年(1907)~昭和59年(1984)

 神戸の呉服商の家に生まれる。大正元年(1912)、5歳のとき京都・南禅寺の南針軒老師の引き立てで、東山の霊鑑寺(鹿ヶ谷御所)に入る。8歳のとき、京都・嵯峨野の尼門跡寺院「曇華院」に移り、ご門跡の飛鳥井慈孝尼公のもとで修行を重ね、信頼を得る。

 31歳を迎えた昭和12年(1937)、曇華院の飛鳥井ご門跡と親交のあった奥浜名湖の名刹・臨済宗方広寺派本山の管長・間宮英宗老師に懇請され、東京・小金井の三光院の住職となる。小金井市長の要請で幼稚園を開園したり、曇華院の600年の伝統を持つ竹之御所精進料理を武蔵野の地に根付かせ、星野香栄禅尼を後継者として育てた。

 

二代目住職  星野香栄禅尼(ほしのこうえいぜんに)
昭和6年(1931)~

星野香栄禅尼

photo:Akira Moriyasu

 東京・麻布で誕生。埼玉・日高、東京・国立で育った少女時代、文学に親しむ。”モガ”ぶりを発揮した府立武蔵高等女学校(現・都立武蔵高校)卒業後、多摩・羽村(現・羽村市)の小学校で代用教員になる。

 ところが、突然退職して、戦後、新制の武蔵高校になった母校に編入学。勉学のかたわら、三光院通いを続けて、米田祖栄禅尼に師事して、仏門を目指して大正大学に学ぶ。

 卒業後、三光院を舞台に型破りの本領を発揮。まず、祖栄禅尼が開園した幼稚園の園長に抜擢されるや、N響を招くなどまさに先進の幼児教育を実践。また、修行の一端として祖栄禅尼から習得した京都・竹之御所流精進料理の一般公開に踏み切るのを手始めに、精進料理本を何冊も執筆し、英語版も手掛け、ICUと国連大学での講義や米国での講演など《精進料理の伝道師》として国際的な普及に貢献。

 この間、武蔵・平林寺で禅堂で修行、京都・花園大学で西村恵信のもと禅を探求した。一方、曇華院のルーツである「通玄寺史」の現代訳に挑み、29門主・飛鳥井慈孝尼公の厚い信頼を得て、同院で得度式を行った。しかも京都・奈良の尼門跡寺院に精通、中世いらいベールに包まれたご門跡の生活文化にスポットをあてた初のテレビ番組「京都尼門跡」をプロデュース、貴重な文化が注目を集めた。

 この三光院の財産ともいえる竹之御所流精進料理の後継者に、フランス料理研究家の西井郁を育てあげた中興の祖である。